結局、洋正から直接「帰ってこい」という言葉はなかったが、熊野に一次帰省したあの日、様々な方向から外堀を埋められ、もはや逃げ場のない伸卓と良成の二人はその数か月後、野地木材工業に入社した。
二人が入社した当時の野地木材工業(現nojimoku)は、社長の洋正は毎日始業から終業まで製材機の横に陣取り、職工が挽く丸太を一日中見ているということが仕事であった。それと特殊材の見積もり作業である。工場の段取りはというと、洋正の妻である真美が仕切っていた。それと注文や見積もりを処理する番頭的な存在の社員が一名。あとは事務員とパートを含め20名程度が工場で働くといった規模の会社であった。三重県の製材工場の平均的な従業員数が3~5名程度なので、それから比較すると割と人数の多い工場である。
今から37年前、伸卓が生れたばかりの1980年頃の野地木材工業は、社名が野地製材といい、従業員数は3名程度の俗に言う”さんちゃん製材所”であった。
真美はもともと看護師として地元の病院で働いていたが、1980年代の前半、野地木材工業が徐々に規模を拡大するにあたり忙しくなり、看護師を辞めて工場で働くようになっていた。
洋正曰く「気づいたらあいつ勝手に病院辞めて、勝手に工場仕切っとったんじゃ」と。木材についてまったくど素人だった真美は、生まれ持っての”仕切り好き”の才能だけを頼りに、工場を仕切り始めた。
1日中製材機から離れない社長と、ど素人の真美が仕切る野地製材は毎日が吉本新喜劇のように、ハチャメチャなことばかり起きていた。
あだ名が”カセットコンロ”と呼ばれるほど、すぐにカッとなり誰それ構わず怒鳴り散らす洋正は、毎日怒っていた。特に妻の真美に対して。しかし、どんなに怒鳴られても「私にはまったく非がない」と思い込んで日々を過ごしている真美は、洋正の言葉に対しては聞く耳を持たない。人の話を聞かない真美に対し、洋正はさらにヒートアップし、また怒鳴り散らす。だがやはり真美は耳を貸さない。
普通こんな毎日が続けば、腹がたっても怒鳴り散らす方はさすがに無駄な労力だと感じて、怒鳴るのをやめてしまうだろう。
怒られる方も方で、いくら人の話を聞かない人であったとしても、こうも毎日毎日怒鳴られていては気が滅入ってしまい、会社でも家庭でも相手を避けるようになる。それが普通ではないだろうか。
しかし洋正と真美の関係は違った。
毎日毎日同じことが繰り返されるのである。これは常軌を逸していると言っても過言ではないのだが、これには理由があった。
洋正は滅多に自宅で夕食をとることはなく、仕事が終わると行きつけの居酒屋に出かけるのだ。そこでは顔見知りの常連客がいて、ちょっとした酒の肴をつまみながらいつも同じ顔ぶれでワイワイと酒を呑む。この日も熊野名物”さんまのカンピンタン”を焼く香ばしい香りが店内に充満し、酒をうまくする。洋正にとってここでの他愛もない時間が、至福の時間でなのであった。毎日同じ顔ぶれなので話の内容はいつも同じ話で、よくも飽きやしないなと思いきや、そこは違った。
そこに登場するのが”真美”なのであった。
「おーい、ヒロ坊。今日の真美ちゃんはどうやったなら。」
洋正より3つほど年上の常連客で、林業を営んでいる男が洋正に声をかけた。その言葉は毎日言うあいさつのようで、おはようや、こんにちはと同義であるかのように、スッと出てきた。
「おー、もうね、辛きってくわ。大概にしてくれよ。」
洋正は頭を抱えながら言った。
「おう、どしたんなら?まぁ、呑めよ。」
「いやね、今日さ、新車のマークⅡが納車されたんさ。」
「おーおー、前に買うんじゃって言やったにゃ。あれ来たんか。」
「おー、来たのはえぇんやけどさ、事務所のはたの原木置いとる横へマークⅡを止めとったんやけどさ、そしたらそこへ真美が乗っとるフォークリフトが来てよー、あいつリフトに乗ったままマークⅡに突撃して串刺しにしたってよー。もう、もたんわ。」
「どいらいぎゃ、お前!やっぱり真美ちゃん相変わらず狂いこんどるにゃぁ。ばりおもろいやんか。」
「おもろないわ!俺がさー、”お前何しやんなっ!!”って真美に怒ったらさー、あいつなんて言うたと思う?」
”あんたがおかしなとこへ止めるから、突いたったやんか!!”
「つって逆ギレしてきてよー。俺ももう、さすがに言葉が出やんで、なんか涙出たわ。」
「ぎゃははは。お前また真美ちゃんの伝説がひとつ増えたにゃぁ。ええわー、おもろいわぁ」
「やかましゃぁ!(笑)」
どっと大笑いがおこり、笑い声が店内をこだました。
つまり、洋正が毎日真美を怒鳴り散らし、真美の奇跡とも呼べる行動を誘発することで、吉本新喜劇でもありえないようなドラマが生まれ、その話を居酒屋で披露してその場のみんなが楽しくなり、そして洋正も話がウケるのでご機嫌になる。家に帰ると昼間とは打って変わってニコニコ顔の洋正は、昼間の憤りのことなんか忘れ「今日もウケたわ〜。おもろいにゃぁ。」と真美に報告するのである。
それが洋正と真美のルーティンになっていた。
毎日おもしろい。
そんな文化というか、野地木材工業のアイデンティティーのようなものは、こうして築かれていったのかもしれない。