ノジステムの開発に向けて
伸卓が入社した2003年当時、納品書や請求書などの各種帳票の作成は手書きで行われていた。
注文はFAXか電話でくることがほとんどで、お客様からの注文内容に対して小さなカードに手描きで書き込み、真美(伸卓の母であり当時の製造責任者)が工場内の職人に手渡しで指示していた。
製品が出来上がると、その製品に対して運送業者に配送を依頼するためにFAXを送り、納品書を作り、封筒に顧客名を書いて封入、納品書控えを作り顧客にFAXでお知らせ、最後に請求書を作成して、それも封筒を作って郵送する。
「ひとつの受注に対して、何回同じ内容を書き込む作業を繰り返すんだ・・・」
伸卓はこの無味で退屈な作業を効率化しようと、従来の手描きからパソコン作業に切り替えることにした。
彼は大学時代、まともに学校に行かずバンドに夢中になっていたわけだが、もうひとつ夢中になっていることがあった。それはパソコンである。
当時、インターネットで光回線が出たての頃で、オンラインでデータのやり取りや、ゲームを行うことが急激に広まっていた。夜な夜なバンド仲間とチャットでやり取りをしながら、マニアックなミュージシャンの貴重なライブ映像をダウンロードしたり、オンライン麻雀したりと、一気に広がりを見せるパソコンの楽しい可能性に引き込まれていった。
そんなことから伸卓はパソコンに興味を持ち、大学でデータベース構築の授業があったのだが、それだけは真面目に受講し、簡単なデータベースであれば構築できる技能を持っていた。
その知識を活かし、野地木材工業(現nojimoku)の受注から請求までの一連の手描き作業をなくすために、受注から簡単な生産管理、配送管理、請求書作成ができるシステムを作り上げることにした。
しかし、その作業は思っていた以上に困難を極め大変な作業となった。
伸卓にデータベースを作る知識はあっても、製造工程や細かい製品の仕様など、まだまだ知らない事がたくさんあった。当時の顧客は100社近くあり、請求書の締め日や支払方法が顧客によって違うこともあり、それらをグルーピングしていかないといけないことも後で知った。
データベースシステムのベータ版を作っては現場に落とし込み、経理担当者や現場から不満の声を聞きながら何度も何度も作り直した。
結局、1年がかりでようやくシステム完成にこぎ着け、伸卓は出来上がったシステムを「ノジステム」と名付けた。
ノジステムが出来上がったことで、手描き作業のほとんどをパソコンに置き換えることが出来、一度受注情報を入力すれば各種帳票がすべて印刷できる環境ができあがり、これまでの事務作業が激減できたし、何より間違いがなくなった。受注状況も一覧で確認が出来、売上を月次だけでなく日次で管理できるようになり、それをもとに生産管理の精度も上げることができた。
伸卓は「我ながら良いシステムができたぞ」と悦に浸り、しばらくニヤつきながら日々を過ごしていた。
良いシステムが出来上がったが、次はどうしようかと、次のステップとは何かを考えた。
ノジステム開発の目的とは、手描き作業を無くすことだった。
したがってとりあえず手描き作業がなくなればいい。という元で各種帳票を作っていったわけだが、その帳票を眺めていたときにふと伸卓は思った。
「なんかうちの帳票、味気ないな。。。」
文字情報が羅列されただけの帳票に、野地木材らしさがないことに伸卓は気づき、
「なんだろう。何が足りないのだろう?」
そう考えた伸卓は他社の帳票や、インターネットで色々調べていくと、帳票に野地木材工業の会社ロゴを入れれば、かっこよくなるぞと至った。
会社のロゴをつくる
そこで今度はロゴデザインをどうしようかと考えた。
あれこれ考えながら手で書いたり、パソコンでイラストレーター使ったりしていくつも案を考えていると、おもむろに真美が伸卓に声をかけた。
「あんた何しやるん?」
「あー、会社のロゴ考えやる。この前つくったノジステムの帳票にロゴを入れたいなーって思って。」
「うちのロゴあるで」
「うそ!?あるん?オレ見たことなかったわ。誰が考えたん?」
「あたしやんか」
「そうなん!あったんや会社のロゴ。どこにあるん?ロゴあるんやったらそれ使おか!」
「ええよ、ちょっと待ってぇよ。どこやったかなー。あー、ここやここ」
真美がクリアファイルから一枚の紙を取り出し、コピー機で印刷して伸卓に渡す。
「何これ?」
「何って、あんたこれ野地木材のロゴやんか。かっこええやろ。」
真美は自慢げに伸卓に見せたロゴがこれである。
「おいこれ、ダサすぎるやろ」
「何がダサいんよ!漢字やったらかっこ悪い思て、ローマ字にしたんやで!」
「いやそういう問題じゃなく。おもっきりダサイで」
「ダサくないやろ!!もう!!」
真美は顔を真っ赤にして怒る。
伸卓は指摘の手を緩めることなく、追い打ちをかぶせる。
「なんで”野地”の”じ”がZなん? 普通”JI”やろ」
「ZIでも”じ”って読めるやん!!」
真美は自身の考えたハイデザインを譲る気配はない。
「いやー、普通Jやし。おれもこれまでローマ字で名前書くとき、ずっと”Noji”って書いてきたもん。
Zじゃないやろー」
「Zのほうがかっこええやないの!ロックな感じしてええやんか!!」
「ん?ロックな感じ??」
そこで伸卓は「ハッ」と気づいた。
真美の推す「ロックな感じ」を聞いて頭をよぎった。
ロックな感じ。
ロックと言えば、日本で最高のロックシンガー矢沢永吉。
もしかして。。。。
伸卓はインターネットで矢沢永吉を調べてみると、
これか。。。
「うちのオカンはこれにインスパイアされたわけか。。。」
矢沢永吉は確かにかっこよい。
日本を代表するロッカーで、日本のロックンロールを作り上げた第一人者であることは間違いない。
そんな矢沢永吉の有名なこのロゴもかっこいい。
それは認める。間違いない。
が、
うちのオカンが考えたロゴは間違いなくダサイ。
まず、ロゴの線が細い。
これはうちのオカンの画力によることろだから仕方ない。
でも高い画力で線を太く、デザイン性を高くすると間違いなく「YAZAWA」に寄る。
NOZIMOKU が YAZAWAに寄る。これはダサイ。」
伸卓は真美を気遣い、声には出さず心の中でそう思った。
「オカン、わかった。ありがとう。これを参考にもうちょっと考えてみるわ」
伸卓は真美にそう伝え、真美もとりあえず怒りを収め工場の中に入っていった。
新しいロゴを考える
翌日、伸卓はロゴの一新の検討に入った。
「おかんのあれはアカン。もっと野地木材らしく、製材所らしく、洗練されたデザインのロゴにしたい」
そう考えた伸卓は、良成に相談することにした。
良成は高校卒業後、東京のデザイン学校に進学しデザインを学んでいた。
伸卓は良成に自分の思いの丈と、おかんの考えたロゴを採用する危険さを伝え、新しいロゴを考えて欲しいと依頼した。
一週間後、「ロゴが出来たから見て欲しい」と伸卓に良成から連絡が入った。
「おう、OK。どんなのできたん。見せてよ。」
良成が出来上がったロゴをみせると、ロゴデザインに込めた想いを伸卓に語り出した。
「まず、製材所といったらやっぱり”ノコ”かなって。でも帯鋸をデザインに反映するのが難しかったので、丸鋸からデザインイメージした。丸鋸が回転しているイメージやね。それと、野地木材の”N”の文字を変形させて、組み合わせてこんなデザインにしたんよ。あとコーポレートカラーも今回決めようかなと考え、これまでの緑色よりも深い緑にした。”ものづくりを深く追求する”みたいなノリかな(笑)」
「ええやん!かっこええと思う。これでいこう!!」
伸卓は出来上がったロゴに満足し、新しいロゴを作り上げた良成を労った。
「でもさ、やっぱ野地木材の”じ”は、”Z”なんやね!?」
「そーやねー。もうメールアドレスとかあちこちに使ってしまっとるもんね。」
「あー、確かに。。。」
野地木材工業はこれ以降、ずっとロゴやドメインに”Z”を用いることになる。
そのZの成り立ちとは、野地真美による矢沢永吉へのリスペクトと、そこからのインスパイアであることは、この時、伸卓と良成のみが知る事実なのであった。
つづく。
編集後記
2004年頃、当時の野地木材工業株式会社でホームページを立ち上げました。
その際のドメインがnozimoku.co.jp
この時も社内で”nozimoku”にするのか”nojimoku”がいいのか、散々議論に及びましたが、私の母である野地真美がすでに本社工場の扉にデカデカとnozimokuロゴをプリントしてしまっていたこともあり、nozimokuを採用することに至った次第です。
しかし、やっぱり私の中でどこか気持ち悪さが残り続け、いつか変えたいなと思っていました。
そこで今回社名を変更するとともに、会社のCI、VI、BIを作り込むことを決め、それをきっかけにドメインを見直しnozimoku → nojimokuに改めることができました。
今回の新しいロゴには、以下のような思いが込められています。
- 様々な色の人と一緒に事業を組み立てていく
- 一つひとつのパーツは木で切り出せる形をイメージ
- 様々な形でもバランスがとれているおもしろさ
- 積み木 = 積んで遊ぶ = 遊び心
これは、今回の新しいホームページを作ってくれた株式会社ヒトノハさんよりご提案を頂きました。
一年かけて何度も何時間も打合せと議論を重ね、私たちのキャラクターや考え方、思いを形としてデザインして頂きました。
nojimokuらしい遊び心がうまく表現できていて、とても気に入っています。
これからもヒトノハさんには、nojimokuクルーの一員として一緒に色々仕掛けて行きたいと思いますので、乞うご期待下さい!
野地伸卓