nojimoku
未来の林業を志す会社として、
nojimokuは従来の製材所の枠を超えた
あたらしいつながりを生み出そうとしています。
私が入社した当時、8割ぐらいの取引先が、商社さんや材木屋さんだった。
電話を受け、日々見積もりや受注の応対をする中で、
こんなに丁寧にこだわりあるものづくりをして良いものができているのに、
この熱量が、なかなか直接、その先のお客さんたちには伝わらない
そういうもどかしさを感じていた。
実際に誰が使ってくれるのか。どんな建物になるのか。
当時は全然見えていなかった。
プロジェクト名もわからないし、設計者名もわからない。
何にもわからないような、そんなぼやーっとした業界体制に、
私は違和感を感じてしまった。
このままじゃ仕事が面白くない。
自社の取り組みや製品を、もっときちんと提案したい。
そして、nojimokuのこだわりの木材で、住まいづくりに貢献したい。
それなら自分でちょっと営業に行ってみよう。そう思ったのがきっかけだった。
でも、どうやって営業に行ったらいいのか、
それまで全然やったことがなかったので、わからなかった。
最初は住宅特集とか、建築雑誌を読み漁った。
そこから載っている設計事務所や工務店を調べて、一件一件アポを取る。
アポ取りもすごく緊張して、最初は苦手だった。
話に詰まらないように、最低でも5個質問を考え、
セールストークも丸暗記。
そういうことを積み重ねていって、少しずつ設計事務所さんや
工務店さんのお客さんが増えていった。
営業を始めたときには雲の上の人で
いつかうちの木材を使ってもらえたらいいなって思っていた建築家さんがいた。
あるときふとしたきっかけをいただき、サンプルを送ったら使ってくれることに。
すると、「こんな空間になりました」「今工事中です」「こんな感じです」と、
施工写真を送ってきてくださった。
写真を見たら、すごい素敵な空間に天井が張られていて、
なんだか夢がちょっと実現したようで、感動した。
いちばん最初に営業で訪問したところは、とても良く覚えている。
三重県の萩原建設さんというところで、
すごく緊張していたが、訪問してみると、社長がとにかく優しい方だった。
商品説明をさせていただき、話を親密にきいてくださった。
はじめて行ったところがそこだったから、
すごく、自信がついたし、その後の弾みになった。
この間、社員旅行に行った。
入社して 15年ちょっと経ってはじめての社員旅行。
そこで萩原建設さんのところに伺っていろいろ勉強させてもらった。
泊まったところも萩原建設さんが建てた民泊施設。
そこはうちの杉も使ってくれていた。
浮造りした杉フロアに心地よさを感じ、
杉赤身が張られたお風呂で癒され、
夜中まで喋りながら夜食を作り、
とても豊かな時間を過ごした。
あの時の一歩がつながったようで、感慨深く感じた。
地元の方に向けた設計の仕事と、設計の視点を活かした営業の仕事を行っている。
営業の仕事は、設計段階から見積やサンプル作成などのやりとりを繰り返し
設計者さんの設計意図だとか作りたい空間やお施主様の好み、
価格とかなどの提案、確認を繰り返して、ようやくお仕事に繋がる、結構地道な仕事だ。
でもそれをしていくと、次の物件もこんなんできるかなとか、
いろいろなご相談がいただける。
さらに、木材明細ではなく、図面を送るから、提案できるところを
ちょっと一回ザザッと提案してみてくれないかなということもある。
やっぱり設計をしているので、図面をみるときはワクワクする。
いただいた図面から、
こういうふうに木を使ってくれるとこんな空間になるんだろうかと想像してみる。
それが日々、ちょっと楽しいことだ。
建建物を建てる工程で一番好きなのは、上棟の日だ。
上棟の日は、喜びとか楽しみ半分、不安も半分。
ちゃんと打合せや木材の段取りがうまいことできているんだろうか、
怪我なく無事に上棟ができるのだろうか、という不安。
それまでいろんな人と話をして打合せしてきたことが、
一日で立ち上がっていく様子を見る楽しみ。
当日の夕方には、工事用足場やはしごを上る。
高いところは結構平気。
2階に登り、窓からの景色を確認し、
足場があるときにしか上れない屋根まで上る。
上棟をした時の実感というか、高揚感なのか、
印象深く残る一日である。
ももともと海には憧れがあった。
成人して、熊野出身の主人と結婚して、
田舎育ちの私達は、都会の名古屋から熊野へ移住した。
熊野へ来た当初、主人の実家の漁師町に住んだ。
窓から眺める景色は、海と山。
夕方出港していく漁師船を見たり、台風時の荒波の海を見たり、
山に沈む夕日にキラキラと照らされる海をよく眺めた。
ずっと見ていても飽きなかった。
漁師の義父からいただくお魚が新鮮で美味しく、自分が魚好きだと初めて知った。
そして、イラストで描かれたイカの白色は、実は死後何日か経ったイカの色だということも。
実家の岐阜の田舎とはまた違う田舎だが、肌にも合っている。
そして地元の木を扱う製材所で働いている。
不思議な縁を感じつつ、居心地が良く、熊野に来てよかったなと思っている。
東京から帰ってきたとき、
兄は事務所のほうに入って管理のことをやって、僕は工場に入った。
僕らが帰ってきた頃は、生産管理なんか全然されてないような感じで、
うちのおかんが職人さんに製材・加工の指示をしていた。
それも、その日に入った注文を事務の人にメモで渡されて、
それを指示するみたいな感じで、
本当、その日その日で考えていくみたいなやり方。
当然パソコンとかで管理をしてるっていうわけじゃなくて、
本当にアナログのやり方だった。
在庫の管理も、勘で社長がやってるっていう感じだった。
そういうのを見ていて、
生産管理だとか品質管理だとか在庫管理ってどうすればいいかとかじゃなくて、
自然とこれじゃダメだろうっていう気持ちを普通に感じた。
それでわからないなりに、
こうやったらいいんじゃないかって試しながら、少しずつやっていった。
例えば、加工した床板をサンダーペーパーで研磨する機械に通して仕上げる工程があって、
そこではサンダーペーパーで0.2ミリとか0.3ミリを削る。
でもその工程でまっすぐ削れなくて、どうしてか、横の方に傾いてしまう。
だから床板の厚みが右と左で違って、品質としては大問題。
そういうのがたまに出てくるという状態で、なんでかわからない状態だった。
それでよく見てみると、左右の厚みが違うのはどうも、板が反ってるからだとわかった。
板が反ってるから機械に入った時のペーパーの当たり具合が変わって、厚みが均等にならない。
確かに板は反るもの。でも、どういう条件で反るんだろう。
それでさらに調べていったら、加工したあとに重ねて保管してある板の
一番上と一番下が多いらしいということがわかってきた。
なぜなら、そこが空気によく触れるから。空気に触れると木は動く。
だから雨が2~3日続いた日の、一番上と一番下の材料が反ることが多い。
いろいろ試験して、その状態を再現してみてとかやって、やっとそれが分かった。
対策として保管する際に、梱包の最上段と最下段が湿気に触れないように
何かでカバーするっていう風にした途端、サンダーの不具合が1回もなくなった。
気分があがるとか、そんな感じではないけれども、
やっぱりそうやって苦労してわかったことは絶対忘れない。
入社してから、一番印象に残っているのは大水害の日。
台風で雨がすごい降って、この辺のあちこちの山が崩れた。
その中で、本社工場に通じる道が、土砂崩れで塞がれて通れなくなった。
しばらく工場が存在するのかしないのか、わからない状態が続いた。
3日ぐらい経って、探検隊を組織して、
5人ぐらいで歩いて、土砂崩れの山を越え、歩いて会社を目指した。
最後のカーブを抜けて、会社が見えたときは嬉しかった。
工場には作ったけど出荷できてない製品がたくさんあって、
道路が寸断された中、どうやって出荷するかっていう大きな問題が出てきた。
そのとき、社員のひとりが「担いで運び出そう」と言った。
製品を、みんなで手で運んだ。
それも夏だった。めっちゃ暑かったかな。
そのことも、良く覚えている。