少し前のことである。
工場でベテランの職人が黙々と木材の仕分けを続けていた。
nojimokuの顧客からの品質要求は高く、職人はその期待に応えようと、nojimokuの品質規格に通る材、通らない材を仕分けていた。
そのとき、彼は僕にこう言った。
「社長、これ使えるのに、捨てるしかないんか!? もったいないやろ」
その言葉を聞いて、僕はつばを吞んだ。

考えてみれば、一本の木が丸太になるまでに、約80年という時間がかかる。
80年である。
僕がまだ生まれていないころから、誰かが苗を植え、その木が雨を吸い、光を浴びて育ってきた。
下草刈りや間伐、枝打ちという途方もない時間と手間暇をかけ、そうして、やっと切り出された丸太が製材所へやってくる。
しかし、その丸太を製材し木材として世に出られる割合は、nojimokuの場合、全体のたった30%にも満たない。
残りの70%は、製造の過程で捨てられていく。
製材業界の言葉でいう「歩留まり」は、30%以下なのだ。
品質基準を磨き続けてきた会社の、これが正味の数字である。
うちではこれを「歩留りジゴク」と呼んでいる。

丸太の製材とは、魚を捌く作業と似ている。
丸太をマグロに例えるなら、マグロの「トロ」とは、nojimokuで言うところの品質規格をクリアした木材である。
マグロはトロだけ売れても、一匹買いの元は取れない。全部売って、やっと商売になる。

70%以上も捨てているというだけで十分すぎるほど「もったいない」話であるのに、さらに品質基準を上げると、この数字はもっと削られていく。
つまり、トロがとれる量が減ってしまうのだ。
「もっといいものを」という言葉は、誰でも簡単に口にできる。
しかしその裏で何が起きているかを、どれほどの人が知っているだろうか。
品質を上げるということは、「不良」と呼ばれるものの線引きを上げるということだ。
それはつまり、昨日まで普通にトロとされていたものが、今日からはゴミ箱行きになるということでもある。
nojimokuには「NOJIS」という品質規格がある。
お客さんに高品質を約束するための、nojimokuが独自に設定した大切な規格だ。

ただ、この規格を磨けば磨くほど、規格にハマらない木材の山が育っていく。
僕たちの高品質は、行き場をなくした木材の山の上に出来上がっていたのである。

毎日丸太と向き合い、木の声を聞いている職人たちは、仕事とは言え「工夫すれば使えるのにもったいない」と、いかんともしがたい気持ちになりながら、規格外としてハネている。
それでも、お客様の要望に応えなければならない。
だから彼らは、泣く泣く木材を捨て続けているのだ。
これは誰かが悪いという話ではない。
消費者は、より良いものを求めて当然である。
メーカーは、品質を高めるのが責務だ。
市場も、資本主義の論理も、誰も間違ってはいない。
ただ、
木材の屍の上に成り立つ経済成長が、長続きするとはどうしても思えないのだ。
僕は若いころ、ロックバンドをやっていた。
毎日ギターをかき鳴らし、魂の叫びをメロディに乗せてがむしゃらに音楽と格闘していた。
あの頃の自分には、恥ずかしいくらい余計なものがなかった。
ただ叫びたいことがあって、ただそれを全力でぶつけていた。
会社を経営するようになって、社員を養う責任が生まれ、当然ながら倫理的に、慎重に、理性的に振る舞うことが求められるようになった。
それは正しいことだし、今もその考え方は変わらない。
でも、気づいたら大事なものを失いかけていた気がする。
憤りの体現、である。
林業というのは、長い時間をかける業(なりわい)だ。
今だけうまくいけばいいという発想では、最初から話にならない。
先人が80年かけて育てた木を、僕たちは引き継いで、次の世代へ届ける。
その連鎖が途切れたとき、この世界は本当に終わる。
そこで僕は、AMASUNAというプロジェクトを立ち上げた。
その名前には「余さず使い切る」という意味を込めている。
丸太を、木を、余すことなく使い切る。
その言葉の中に、僕たちがこの業(なりわい)で守りたいものが、ぜんぶ詰まっている。

木とは、鉄やコンクリートとは違う素材だ。
一本一本、強度も形も色も香りも違う。
だから規格にはめるのがとても難しい素材なのだ。
規格に収まらない個性が、木の面白さそのものである。
その個性を「不良」と呼んで捨てるのか。
それとも、その個性を「魅力」と呼んで活かすのか。
そこに必要なのは、クリエイティブな力だと僕は思う。
規格外のものを規格外のまま美しく使いこなす、想像力と技術の力。
AMASUNAはその力を持って、この問題に挑んでいくプロジェクトだ。
具体的な中身のひとつが「SIJON」という規格である。
NOJISの逆さ読みだ。
世の中が勝手に「規格外」と呼んだ木材に、住み手、設計者、工務店、大工、そしてnojimokuが一緒になって価値を見つけ直し、自分たちで線引きを新たに引くことで生き返らせる規格だ。
大きな節はある。変な色も入る。少し反っていたりする。
それでも品質を捨てたわけではない。乾燥や加工には、NOJISと同じ手をかけている。外したのは、見た目の線引きだけだ。

NOJISとは、nojimokuが定めたルールをしっかり守って作り上げる規格。
SIJONとは、NOJISから溢れた木材をいかにして愛でるかを考える規格。
nojimokuが規律と調和のクラシックだとしたら、AMASUNAは、内からあふれる熱量と、認められない怒りのハードロックだ。
ノイズを消すのがNOJISで、ノイズを愛でるのがAMASUNA。
同じ会社が、二つの魂を飼っている。われながら、面倒な会社である。

現場には、言葉にしにくい本音がある。
「捨てるのもったいない」
会議で口にすれば角が立つ。口にしたところで、結論も出ない。
だから僕は、長いあいだ飲み込んできた。我慢して、堪えてきた。
しかし、もう堪えきれない。
だから、歌にした。
『Amasuna』という曲である。
品質は正義か? 歩留りは悪か?
AMASUNA 70%のロスの果て
AMASUNA 屍の上に持続などなし
AMASUNA 虫喰い悪いと誰が決めた
AMASUNA 使えない木などこの世にはない言いたい! けど、言えない…
叫びたい! けど、叫ばない…俺たちはただ黙々と丸太を挽くだけ
余さぬように
製材所で丸太を挽く帯鋸は、英語でバンドソーという。
かつて僕はロックバンドを組み、ギターボーカルとして、曲を書いていた。
熊野に帰ってきて、僕は製材というバンドソーを用いた仕事に就いた。
ギターを弾くから、丸太を挽くに変わったわけだ。
どちらもバンド活動じゃないか。
言葉だけじゃなくて、製材所経営とは、バンドと同じだと思っている。
ギタリストがいて、ベースがいて、ドラムがいて、ボーカルがいるように、製材、加工、乾燥、塗装、顧客対応などいろんな役割があり、チームが成り立っている。
AMASUNAもそういうプロジェクトにしたい。
このブログでは、AMASUNAの活動をひとつひとつ記録している。
AMASUNAを生んだ仲間、設計者、工務店、材木屋、そして施主まで。
さまざまな立場の人たちと一緒になって考え、生まれた作品を、動いたプロジェクトを、ここから発信していく。
みんなで木材を奏でるように、余すことなく使い切る世界を、一緒につくっていきたいのだ。
現代社会における経済成長一辺倒といった価値観により、林業の世界が終わってしまうかもしれない。
それが自然の摂理だとするのならば仕方のないことかもしれないが、僕は抗いたい。
このブログを読んで、何かがざわついた人がいれば。
「面白そうだな」と思った設計者や工務店の方がいれば。
あるいは、家を建てようとしていて、この話に共感した施主の方がいれば。
ぜひ、一緒にやろう。
AMASUNAは常にメンバーを募集している。
ハイセンスな設計や、超絶技巧の加工技術は必要ない。
ただ、魂が動いているなら、それで十分。
あとは、「AMASUNA!!」と叫ぶだけだ。
製材所での仕事をいかにして”おもしろく”するか、それで事業が成り立つのかを日々実験している
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