nojimokuとの出会い
とある林業プロジェクトでnojimokuと出会った。nojimokuツアーに参加したいと思った。参加者を募ったら変わり者たちが集まった。ツアー初日の夜、酒を交わしながら互いのバックグラウンドを話しているうちに、「このメンバーで何かおもしろいことができるんじゃないか」という空気が自然と生まれていた。
そんな偶然のような出会いから立ち上がったのが「AMASUNAプロジェクト」である。
このプロジェクトがどのように始まり、わたしたちの日常にどんな変化を与えたのか、少し振り返ってみたい。
向かった先は三重県の熊野。ここでのフィールドワークとnojimokuの現場見学を通して感じたのは、林業って単に「木を切って売る仕事」じゃないんだ、ということだった。
特に印象的だったのが『セーザイゲーム』。ゲームで製材の流れや難しさを疑似体験したあとに実際の現場を見ることで、が一気に“自分ごと”として見えてくる。

実際にnojimokuの製材現場へ入ると、一本の丸太から製品になる部分は思っていたよりも少なかった。木材は加工してみないとわからない部分も多く、節や反りによって価値も変わる。大量の端材や規格外材が目の前に鎮座している。


実際にnojimokuの製材現場へ入ると、木材は加工してみないとわからない部分も多く、まるでガチャみたいな世界だった。同じ木でも表情が違う。人間側の都合でA品・B品と分けているけれど、本当はそれぞれに個性があるのかもしれない。
2回のフィールドワークを通して、熊野という土地でnojimokuが何を目指しているのか、その輪郭が少し見えてきた気がする。
そして何より心に残ったのが、「nojimokuは製材界のインディーズであり続けたい」という言葉だった。
効率や大量生産だけではない、自分たちなりのやり方で林業や地域文化と向き合っていく。その姿勢は、後に「AMASUNA」プロジェクトへとつながっていく。

熊野でのフィールドワークを終え、あれよあれよと立ち上がった「AMASUNA」プロジェクト。日常に潜むAMASUNAに目を向ける意識が芽生え始めた。「AMASUNA(余すな!)」という強烈なフレーズが私の中に侵食しはじめる。
筆者のバックグラウンド
ところで、筆者は少し変わったバックグラウンドを持っている。
日本生まれ日本育ち国籍も日本だが、父は中国・上海、母は台湾出身のため日本人の血筋を引いていない。
大学時代に台湾へ1年間だけ留学したことがあった。
勉強をそっちのけで毎晩遅くまでブレイクダンスの練習をしていた私に、母から突然「この人に会いに行きなさい」と連絡があった。
恐る恐るその大叔父(祖母の弟)に会いに行くと「君には台湾アミ族の血が流れている」と告げられた。青天の霹靂だった。
それをきっかけに、台湾原住民族(中国語で”先住民”とは言わない)をはじめ、世界の民族文化に興味を持つようになった。

そういった背景もあり、日本のアイヌ民族のことを学ぶべく北海道に飛んだ。
アイヌからの学び
「アイヌ(aynu)」とは、彼らの言葉で「人」を表す。数年前に大ヒットした漫画『ゴールデンカムイ』によってアイヌ旋風が巻き起こったことは記憶に新しい。
白老や二風谷でアイヌの文化や暮らしを学中で、わたしはあることに気づかされた。彼らの生活には、はるか昔から「AMASUNA」に通じる感覚が深く根付いていたのである。
アイヌ民族に触れる上で、必ずセットで語られるのが「カムイ【kamuy】」と呼ばれる存在だ。アイヌの人々は、山や川、動物たちを「神(カムイ)の遣い」として敬いながらも、生きるためにその命をいただいてた。

たとえば、サケ。
アイヌはサケを、神(カムイ)が人間(アイヌ)のために神々の国から送ってくれた魚と考え、「カムイチェプ=神の魚」と呼ぶ。
彼らはサケを獲ることを「チェプコイ(cepkoyki、魚をいじめる)」と表現する。
“いただく”のではなく、“いじめる”。
そこには、生きるために命を奪うことへの畏敬や申し訳なさが込められている。
だからこそ、サケは余すことなく使われた。丁寧に調理し、残さず食べる。それがカムイへの感謝でもあったという。

現代日本でも、「食べ物を粗末にしてはいけない」と幼い頃から教わる。しかし、アイヌの実践はわたしの想像を超えていた。
サケは食料や保存食、交易品として利用されていただけではない。思いがけず唸ってしまったのは、サケの皮まで生活道具として活用していたことだ。皮を使って「チェプケレ」と呼ばれる靴まで作っていたという。

もちろん、猟師が鹿や猪の皮を使って衣服を作る文化と通じる部分はある。それでも強く印象に残ったのは、「魚をいじめる」という表現だった。
命をいただいているという感覚が、「余さない」という行動へ自然につながっている。
わたしたちは普段、「いただきます」と箸を持ち、「ごちそうさま」と箸を置く。
けれど、その言葉はいつしか無意識に発せられるだけのものとなり、本来の意味を置き去りにしてしまってはいないだろうか。
昔の人々が大切にしていた感覚や、マイノリティな民族の価値観から学べることは、まだまだ多い。
これらを知った今、わたしたちは何を捨て、何を残していくべきなのか。
自戒の意味も込めて、今一度問い直してみたい。
AMASUNAプロジェクト
さて、話を戻したい。
お互いのことをよく知らないまま、それぞれバックグラウンドの異なるアウトロー?なヒトたちがノリと勢いで始めてしまった「AMASUNAプロジェクト」。僭越ながら彼らを引き合わせてしまったのは他の誰でもない、わたしである。
この引き合わせが正解だったのか、、まだわからない。
ただ、間違いなく言えるのは、彼らといることでおもしろい風景が見れるということ、そしていつか世間をあっと言わせる何かを起こすに違いない。
便利すぎる現代社会の中で、「余したくなくても余してしまう」ことはきっと避けられない。
それでも、小さなことから始めればいい。
「余さない」という感覚を、自分たちの日常から少しずつ取り戻していきたい。
そして、「AMASUNA」の種火に、わたしたち自身で息を吹きかけていこうじゃないか。

様々なジャンルの日台連携プロジェクトに参画。自身のルーツである台湾原住民族文化のリサーチと発信をライフワークとし、フィールドワークを通じて土地・民族・産業・歴史を横断的に探求している。
─── JOIN STORY ───

「あまりもの」
山から来た木を 挽いてみたんだ
おんなじ景色は ひとつも ないのに
節があるとか ちょっと反ってるとか
誰かがチョークで 木にすっと 線を引いた
こっちは使える そっちはバツがつく
倉庫のすみで ほこりが積もる
——これは なんの線 ほんとの まことの線か
これはあまりもの 誰かが決めたあまりもの
知らない人には 線など見えない
これはあまりもの いつからだろうあまりもの
定めた誰かは 覚えてなどない
あまりにも 馬鹿げた世界だ
ある日 知らない人に 教えられたんだ
僕の中にも 知らないルーツが 隠れてると
知らずにいたなら 線など なかった
その日から地球の ないはずの線が見えた
誰が なんで ここに 線をひいた
それが知りたくて 海を 越えた
——これは なんの線 ほんとの まことの線か
これはあまりもの 不本意だけれどあまりもの
知らない人には 真実は知れない
これはあまりもの お裾分けできないあまりもの
行き場はないのに 作っては増える
あまりにも へんてこ世界だ
同じ線が どこかで地図になって
同じ線で いつしかハネにされて
誰も たしかめないまま
その線 信じて ここまで来たんだ
——これは なんの線 ほんとの まことの線か
これはあまりもの 誰かが決めたあまりもの
知らない人には 線など見えない
これはあまりもの いつからだろうあまりもの
定めた誰かは 覚えてなどない
これはあまりもの 不本意だけれどあまりもの
知らない人には 真実は知れない
これはあまりもの お裾分けできないあまりもの
行き場はないのに 作っては増える
あまりにも 馬鹿げた世界だ
あまりものって 辿れば始まりはひとつ
なのにあまりにも あまりにも
あまりものが多すぎやしないかい?
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