雪が積もった白銀の世界。そんな山の中に踏み入り、獣の足跡を探す。新しい足跡を見つけたら、できるだけ音を立てずに歩いていく。
歩いて、歩いた先に獣がいる。そこで引き金に指を掛け、命を終わらせる。動かなくなった獣にロープを掛けて山のふもとまで引きずっていく。捌いて、肉にして、食べる。きっと1,000頭は捌いてきた。
僕はそんな「忍び猟」をメインとした、猟師をしている。

猟師以外にも、本職ではないのだが、自分で木を切ってその木を使って大工をすることもある。素人ながら自分でやると当然わからないことがあり、知人の大工に聞いたり、調べながら進めるたびに知識は増え、手が大工仕事に慣れ親しんでいく。
と、格好良く言ったが、自分でやった方が時間はかかるが安いから、という貧乏性っぽい性分でセルフビルドなんてしているのかもしれない。
簡易的な製材機を使って製材をやっていたこともある。本やネット上で調べられる知識を調べて学んだことがベースで、本職としてやっている現場を一度は見ておきたかった。

そんな個人的な想いもあり、たまたまひょんなご縁で声をかけてもらって、nojimokuを訪れた。どれも個人的に持つにはあまりにも大きすぎる機械の数々を操り、たくさんの人の手で製材が行われている現場は圧巻だった。
過去、製材をしていたからわかるが、作った材は全てが使えるわけではない。本当にちょっとした割れ、欠け、あるいは見た目みたいなところから販売するには気が引ける。そんなわけで、別に使えるのに、と率直に思う木材が倉庫にはあまりにもたくさん積まれていた。
ああ、なんてもったいない。だって多少の割れや欠けがあったって、大工の工夫で案外どうにでもなるんじゃないか。確かに完璧な板の方が、大工さんもお客さんに文句を言われずに済む。それもすごくわかるが、もったいないじゃないか。
木だって、生きている。野菜と一緒で、先人が植林をして、つまり木の畑を作り、杣人が収穫をする。食べ物に例えると、わかりやすい。農家さんが作ってくれた野菜、お米を残さず食べよう、フードロスを無くそう。今日、そういう思想が主流なはずだ。
それなのに、なぜ木は違うのだろうか。工夫次第でどうとでもなりそうな、板が倉庫に次から次へと積まれ、使われずに埃を被っていく。倉庫を圧迫する。
食べ物は残さないようにする。「もったいない」という日本人特有の言葉もあるくらいだ。でも他のものは、木材は違うのか?すごく違和感があった。
AMASUNA=余すな、という言葉はこの違和感から生まれたのかもしれない。

僕が狩猟を初めて1年目の猟期、地元で長年猟をする大ベテランのお爺さんから最初に言われたことは「殺生はあかんで」だった。
最初、意味がわからなかった。だって猟師は獣を殺すじゃないか。どういうことだ、と。
曰く、食って供養だ、殺すだけ殺して捨てるなんてもってのほかだ、と。ちゃんと食べてあげないとその生命は浮かばれない、だから、ちゃんと食べるんや、と。奪った命に対して責任を持て、そういう話だった。

そもそも僕が猟師になろうと思ったのは、自分の食べ物を自分で作ったり獲ったりしたいと思ったからだった。だからその人からの言葉はそれはもう腹に落ちた。以来、僕は獲ってきた鹿や猪は全て捌いて食べてきた。

他にも言われた大事なことがあった。それは「二度殺すな」ということだった。例えば生きている鹿の命を奪う。ここで一度殺している。そして、捌いてお肉にして食べたのであれば、それこそ「食って供養」になる。しかし、ここで仮に殺すだけ殺して食べずに捨てたら、”肉としても”殺していることになる。

話は変わるが、似たようなことをこれまた地元の大ベテランの木こりの方に言われたことがある。
「木は二度生きる」と言っていた。

木が大地で育ち生きている、それを木こりが伐採する。ここまでが第一の生だ。そしてもうひとつ、例えば無垢材の柱として、住宅などに使われたとしよう。
その柱は湿度の高い時は空気中から水を吸い、乾燥した時は水分を吐き出す。伐採されて住宅の柱と姿形を変えて尚、収縮を繰り返し、時には反ったり捻ったりして、動いている。
その状態のことを、杣人や大工さんは「木は生きている」と表現する。それが木の、二度目の生であると。
「二度殺すな」、そして「木は二度生きる」という言葉。
狩猟鳥獣と木材、全く違うようで、どこか似ている、そして大事な精神性が隠されているように感じる。
自然に畏敬の念を抱いてきたかつての第一次産業者は、皆、使う言葉は違えどこうした想いがあったのだと思う。
鹿や猪の命を絶ち、捌いて食べるという一連の流れから常に思うことは、僕ら人間は、膨大の命を犠牲にして自らの命を保っているということだ。
強い言葉で表現するが、僕らは死体を食べている。それが血肉となり、僕らの心臓を動かしている。

殺すことは嫌なことだ。それなりの覚悟がないとできない。腹を括らないといけない。親子連れの片割れを仕留めた時、母もしくは子のことを思うと心が痛い。メスジカのお腹の中から胎児が出てきた時、形容しがたい鉛の塊みたいなものが鳩尾にぶち込まれたような気持ちになる。
決して気持ちいいことではない、だが生きるということはそういうことだ。誰かの命の犠牲の上に僕らは生きている。そのことを常に自覚し、命を奪われた彼らに顔向けできないような恥ずかしい生き方はしたくない。
似たような熱をnojimokuの倉庫で埃を被っていたハネられた板材にも感じる。使わないともったいないだろう、と腹の底から思う。
鹿も、木も生きていた。その命を、余すことなく使おう。そんな腹の底からの叫びが、「AMASUNA」という言葉に繋がった。
余すな。二度殺すな。そんな生き方をしていこうじゃないか。その方が、きっと、面白い。
skills:農業、狩猟、採集、木こり、建築、牧畜
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「命、余すな」
〔語り〕
山に生かされ 山に学んだ
余すな——それが 俺の流儀よ
〔一番〕
雪を踏みしめ 山に入る 白銀の世界 足跡を追う
音を立てずに 一歩また一歩 これが俺の 忍び猟
獲った命は 残さず食らう 食って供養と 教わった
ああ 山の掟 男の覚悟
余すな 余すな この命
奪った重みを 背負って立てよ
鹿よ 猪よ ありがとう お前の血肉で 俺は生きる
AMASUNA——
山に響かせろ
〔二番〕
古老の声が 今も胸に 「殺生はあかん 二度殺すな」
最初は意味が わからなんだが 腹に落ちたぜ あの言葉
木こりが言うた 「木は二度生きる」
山で一度 柱でまた一度 ああ 反って曲がって 息をする
余すな 余すな この命
伐られた木にも 命がある
吸って吐いては また生きる 無駄にゃせん それが筋ってもんだ
AMASUNA——
木霊が応える
〔三番〕
ふらりと訪ねた 製材所 倉庫に積まれた 板の山
ちょっとの割れで ハネられて 埃被って 眠ってた
ああ もったいない もったいない
鹿と同じ 熱を見た
工夫次第で 活きるじゃないか
それが「もったいない」 日本の心
余すな 余すな この命
鹿も 猪も 杉も 桧も
天地に生きる すべての命
無駄にゃせん 二度殺すな
AMASUNA——
AMASUNA——
これが俺らの 生きる道
余すな——
その方が、きっと、面白い
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