CONCEPT

NO. 1 古谷隆明|古谷ランバー株式会社

プロフィール

古谷隆明|フルタニランバー株式会社 代表取締役
石川県金沢市出身、1983年1月8日生まれ。立命館大学産業社会学部を卒業後、大阪の木材輸入商社へ入社。その後、レコード会社で、音楽のセールスとプロモーターを経験し、その後、地元の家業へ戻る。現在代表を務めるフルタニランバー株式会社は、創業1904年。木材の輸入卸売・小売業を営んでいる。近年では、木材業界の効率化を計る、数々の新事業をリリースしている。その他業界団体で、木材の歌やアニメ、ダンスなどの作成を通じてエンタメの視点から木育活動を手掛けた。趣味はバンド活動、マラソン、旅行、ギター演奏等。nojimokuとは材の売買で取引がある他、業界団体でも共に活動中。

ーー早速ですが、nojimokuさんとはいつ頃からのお付き合いなんでしょうか。

古谷 たぶん一番最初に伸卓さん(野地伸卓、現代表取締役)に会ったのは、一緒に木青連(※日本木材青壮年団体連合会)の活動で、委員長職を一緒にやろうってなった時に、nojimokuさんに行ったときでした。なので2020年の12月だったと思います。その時初対面でしたけどお互い知ってたんですよね。伸卓さんってすごい人がいるぞっていう話は聞いてましたし、向こうは向こうで僕のこと知っててもらっていて「一緒にやれるならと思って委員長職を受けました」って言ってくれたりして。そこがスタートでした。

ーー実際にお会いする前の段階ではどんなイメージを持っていたんですか?

古谷 木青連で出会ったのが最初は弟の良成さんだったんですけど、その頃は杉の製材やってるんだろうなぐらいしか思ってなかったですね。それからだんだん情報を聞いてくると、なんだか木育に力入れてるよと。いろんな方面に出向いては講演したりとか、PR 事業をやってるんだなと思っていました。

伸卓さんの魅力をモロに感じたのは、やっぱり一緒に委員長職についてからですね。出会った時からいろんな企画をすでに考えておられて、アイデアがものすごい出てきていたから、すごいクリエイティブな人なんだなって思いました。そこからは同じ委員長として一緒に過ごす時間が多くなって、必然と木材の話にもつながっていくし、最初は木青連活動でこんなことしたらどうだ、みたいなところから、だんだんその会社内部のことも色々知るようになっていって。それで取り組みを拝見して、自分の事業にも影響を受けたりしていきました。

ーー活動の中で特に印象深いものがあれば教えて下さい。

古谷 もともと木青連が紙面上で展開していた「ウッディレター」っていう活動報告書みたいなのがあるんですけど、それを伸卓さんが動画にしたんです。それもただ youtube が流行ってたから動画にしましたとかではなくて、ちゃんとターゲット絞って、中身の構成を考えていて。あと、一発目の動画見た時から、ラジオのパーソナリティーかと思うくらいお話がすごい上手だったし、声も魅力的で、すごい聞きやすいんですよね。話の組み立て方とかもすごい上手で。綺麗に進行するからこそ、素晴らしい動画が仕上がってきていました。選ぶワードセンスがすごいなと思っていて、一つ一つが 引き込まれるような文章を作ってくるんですよ。それが印象的でした。

僕も委員長をやっていたので、そこで連携しませんか、ということもやりました。音楽好きっていうのは知ってたので、よかったらジングル一緒に作りませんかとか。僕は木育委員会だったんですけど、木育の立場でウッディレターに登場して、そういったコンテンツ作って発信しませんか、とかいろいろ。その年のテーマがたまたま「ウッドエンターテイメント」だったんですよ。お互いに得意な分野だったので、企画出しの段階でものすごく盛り上がったような記憶があります。

ーーこれまでの付き合いを踏まえて、nojimokuさんらしさってなんだと思いますか?

古谷 クリエイティブだと思います。何か新しいものを生み出すところもそうだし、事業を作り上げるとか、完成させるとか、一つ一つが作品のように見えるんですよね。野地ワールドっていうものに惹き込まれて、見終わった後に伸卓さんが作った世界の中にいるように感じるものを、一つ一つ作り上げられてるっていう風に思いますね。

何より僕はそのクリエイティブさを尊敬しているし、影響を受けています。木材業界でこれしちゃっていいんだみたいなところとか。うちのホームページ、実は伸卓さんの(旧)ホームページも影響を受けてたりもしますし、伸卓さんが書いていたコラムを見て(※木宰治のウッドバイ)うちで書いてみようと思って、フルタニランバーコラムを始めたりしています。あとnojimokuさんに見学行ったときに女性が多かったのがあって、女性が活躍できる職場っていいなと、思いましたね。

ーー近い業者の目線からみて、nojimokuはどういう会社なんですか?

古谷 製材所から製品作りまでやってるんで、そこの幅はものすごい広いですよね、nojimokuさんって。あと熊野からはじまって、今は県外の方にも販売ルートをたくさんお持ちだったりもするんで。本来ならね、外から仕入れるってことが多いんですけどね。nojimokuさんはそこから、また設計士さんに行って、そこで新規受注を取ってきて材料をどこか探してみたいなこともされてるんで、本当に幅広いです。うちから買ってもらうときもあります。

ーー他に何か、印象に残ってること等はありますか?

古谷 とにかく自分の信念をしっかり持っていらっしゃって、それは何かっていうと、熊野っていう地を大事にしているっていうところですね。熊野から発信していくんだっていう思いで、僕と出会うまで、基本的に熊野の材料以外使わないっていうポリシーを持ってやっておられたんですよ。そういうところとか。あとセーザイゲームも今いる人たちを応援するためにやってるっていう、そういった活性化を図る事業とか。とにかく、自分の持ってる財産をとにかく大事にして信念を持って活動、仕事されてるんだろうなっていうことは毎回思いますね。

それに信念を持っているだけじゃなくて、いかにそれを面白おかしくやろうかっていうのが伸卓さんらしさでもあって。例えば、セーザイゲームのプレゼンで製材業の歴史推移を説明するスライドがあるんですけど、大型の製材所と中小の製材所では象とアリぐらい違うんですよっていうのを、実際に像とアリの絵を出して説明したりとか。説明がわかりやすいんですよね。

ーー今後nojimokuとこんなこと一緒にやっていけたらいいなとか、こんなことを作っていけたら面白いんじゃないかとかって、何か考えられていることはありますか?

古谷 まず、セーザイゲームの北陸部隊として広める活動は一緒にやりたいです。それで、木の可能性を広げるってことと、PR 宣伝のプロモーションの部分とかを 一緒にやりたいですね。通常の商売でも、僕らに持ってない国産材の思いとか、僕らは逆に外国材の思いとか持ってるからここをしっかりお互いが共有し合っていきたいなあっていう思いはあります。

あと一緒に商品開発とかしてみたいですね。例えば杉にはどうしても出せない部分の強度とかっていう問題を、世界中の硬さとか強さとか耐久性とかのある木材と一緒にすることで、化粧面は杉でありながら強度は広葉樹なみのものを持つような建材を作るとか。国産材のぬくもりに触れながら、国産材にはない外国材の部分っていうものを感じてもらえるような商品を一緒に作るとか。

そう、熊野でも僕がやってる地域材活性化の連携みたいな活動をやったらおもしろいんじゃないかと思ってます。私は石川県の県木「能登ヒバ」で楽器をつくるという活性化事業を展開しているのですが、それこそ熊野杉楽器プロジェクトみたいな。僕は自社のプロジェクトをヒバの別名の「アテ」からとってATENOTEって呼んでるんですけど、KUMANOTEっていう事業名にしてみるとか。建築ではない業界に対して木材をPRする事業を一緒にやれるといいなって思います。

ーー最後に、一言!

本当にこれから、この業界で一緒にやっていくのが楽しみで仕方がないんです。伸卓さんが同世代でいてくれて良かったって思います。伸卓さんがいるから木材をやっていて楽しいなって思いますね。

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